金と欲望の狂った街

3月は降り積もる雪に埋もれて死んで、誰も助けに来ずに倒れてる間に36協定を超えていたらしく、僕の死は今後語り継がれることになりました。

 

狂った会社だとは思うけど、残業代がちゃんと出ることと、僕の死を隠蔽しないところはフェアな会社だと思いました。どうかこの死を無駄にしないで欲しいです。

 

僕もこの人生を忘れないために、時計を買ったんです。時計の話です。

 

おすすめ機械式時計!! | 山城時計店スタッフブログ

 

海外でスノーフレーク(雪の結晶)というニックネームがついている文字盤はとても綺麗で、見るたびに倒れてもなお、雪の降り続けたあの雪原を思い出します。

 

Remember Snowflakeです。

 

値段を見て意味わかんないなと思った方がほとんどだと思いますが、僕も一年前までは誰よりもその思いを持っていました。まさにポルノグラフィティのアポロ状態でした。

 

でも恐ろしいことに、昨年のGWに「手頃なやつでいいから腕時計が1本欲しいな」と思って「まずは一本だけ…」の精神でセイコー5という1万円以下の機械式時計を買ってみたのが、いわゆる沼への第一歩でした。

 

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昨年のGWはカネコアヤノを聞きながら世界中のおじさんたちの腕毛と時計の画像と映像を見比べて、最終的に上の時計を買ったのですが、思いの外、それだけでGWを使い切れる程度には、自分の審美眼と向き合う歓びを感じました。

 

機械式時計は電池式時計と違い、身につけて動かしてあげないと止まるのが、生き物のようで、相棒のようで、愛しくなってきます。

 

今回みたいに自分の中での節目や物語として、感情を想起させる記念碑にもなります。

 

雪の降る街で命を削って稼いだ残業代で、そのことを忘れないための記念碑(慰霊碑)としての腕時計を買う。改めて東京は金と欲望の渦巻く狂った街だと思います。(狂ってるのは自分の方です)

 

広島でママのおっぱいを飲んで愛に抱かれて暮らしてたときも幸せでしたが、こうして東京に流れ着いたからには、この街で金と欲望に溺れて、最終的には瀬戸内海に沈む大きな夕日を望み、本当の幸福は金でも欲望でもなく愛だったんだとむせび泣く予定です。

 

別にオチとかないんですが、腕時計購入あるあるとして、毎回「〜だからこれが最後」という理由を込めて買うのですが、すぐに別の理由で更新されていきます。

 

今回は「日本人として、30代男性として、国産のちゃんとしたドレスウォッチを一本は持っておかにゃいかん」という理由も込めて買ったのですが、その翌日には「弊社スイス資本だし」という理由でTISSOTのPRXという腕時計を買いました。この時計はジャンルとしてはラグスポといってケースとブレスレットが一体化しておr

禁断の果実

仕事しすぎて変な脈になって過労死ってこうやってなるのかと思った金曜の夜、死ぬ前に無性に中華が食べたくなった。

 

そういえば大阪の友人が神奈川に来てると聞いていたので、誘ってみたらトントン拍子に横浜中華街で中華を食べることに。

 

行き先の中華料理店の名前は「楽園」。いい店は名前の時点でいい。

 

夜が明けて、楽園に向かう電車の中で、友人からの連絡。

 

「ご飯のあと、よかったらストリップ一緒に行こう」

 

楽園から楽園に行くなんて、さすがに神罰が当たりそうな気がした。

 

百合子の顔もチラついた。

 

でも断る理由はなかった。僕は死ぬために生まれてきたわけじゃない。

 

  

1つ目の楽園は、本当に楽園だった。

 

もし僕がカービィーなら、この店の厨房に居座って、料理が作られる端から皿ごと吸い込み続けるだろう。それくらい美味しかった。特に五目焼きそば、禁断の果実かと思った。また行きたい。

  

楽園を出て、楽園に向かう途中、僕らはパンを袋いっぱいに買った。

 

次の楽園は自ら退場するまで永遠にいられる。準備は万端だ。

 

 

満を持して2つ目の楽園、でもそこで僕が食べたのは、パンでも林檎でもなく、春の訪れを告げる甘い無花果だった。

 

春野いちじく。

 

友人が絶賛しているのは前から聞いていたが、今回この目で観て、その目から涙が流れるとは思わなかった。

 

詳細は書かないのがこの世界のマナーらしいので、一言でいうとすれば、春野いちじくのストリップはエロではなく、エモだった。

 

愛を奏でる音楽に合わせて決まるポーズ、飛び交うテープ、回るミラーボール、鳴り止まない拍手。この世の幸福の全てが、その瞬間に詰まっているような気がした。

 

外は土砂降りの中、高い湿度で濡れた身体に這う紐が、乳首に引っ掛かっていたのがすごく良くて、公演後のポラロイド撮りタイムで本人に感動したと伝えたら「あれは"ちっかかり"というんです」といわれた。また一つ、賢くなってしまった。

 

何かをプレゼントしたくて、買っていたパンの中からオシャレなベリーパイを渡そうとしたら、パンが全部入った袋ごと持っていかれそうになって、実家のパン争奪戦みたいになった。

 

その後、友人の友人(ガチ勢)の方が並んで取ってた特等席(真正面最前列)を初体験の僕に座っていいといってくださり、しばらく特等席で他の方のパフォーマンスを観ることができた。

 

ここで気づいたのが、顔の前、数十センチの距離に女性器と見つめてくる女性が来たとき、女性器だけを直視するとキモいおじさんになる気がして、まずは顔を見て、目が逸れた瞬間に女性器を見るともっとキモいおじさんになるということだった。

 

といっても現場の9割はキモいおじさん(自分含む)だったが、1割は若い女性も来ていた。そもそも僕の友人も席を譲ってくださった方も女性だった。僕はこの公演で3回くらい泣きそうになったのだが、その瞬間、ストリップは性的なものという次元を越えていたと思う。

 

今回いちじくさんの5周年記念ということで、途中イベントでファン代表のおじさんがスピーチを行っていたのだが、その中で「ストリップとは魂を開放する素晴らしいものだ」と仰っていた。僕はその言葉に感動を覚えた。

 

友人も「ここにいる人達は、性欲だけなら風俗に行けば済む話なのに、あえてここに来ている」といっていた。

 

なので僕は「キモいおじさん」という表現を訂正しなくてはいけないと思う。

正しくは「やさしくて、えっちなおじさん」だ。

 

そして僕も今日、やさしくて、えっちなおじさんになった。

 

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ストリップを観てる途中、不意に2人の友人のことを思い出した。

 

きっとこういう空間が大好きだろうな、連れてきたら喜ぶだろうなと思った。

 

でもすぐにその2人はもうこの世にいないことも思い出した。

 

この日常は、存在していること自体が奇跡なのかもしれない。

思い出は重いで

去年の年末くらい、突然会ったことのないフォロワーの方からDMが届いて「今から渋谷で飲みませんか」といわれました。少し悩んだけど、こういうのを求めて東京に来たところもあるので、気付いたら駅へと走っていました。

 

渋谷駅に着いてすぐ『マスクを外そう!!!』と叫ぶ謎の集団がハチ公前を占拠していて、「TOKYO!」と思いました。(偏見)

 

程なくフォロワーの方と合流して、鳥貴族でお酒を飲みながらいろんな話をしました。その中で僕の過去の思い出話をしたとき、その人が「めっちゃ面白いじゃないですか。そういう話をブログで書いたらどうですか」といわれたので、少しずつ書いていこうかなと思います。いろいろ時効であることを信じて。(書かない方がいいことあったらいったんブロック解除して教えて下さい)

 

最近驚いたことでいうと、友人と話してるなかで「彼氏の元カノがMarukidoのPVに出てて〜」といってて、Marukidoって誰なんだと思って調べたら、6年くらい前に別の友人から「是非ジョン子さんに会わせたい頭のおかしい女の子がいる」といわれて、大阪に帰る終電を逃してまで会った女の子でした。今はMarukidoという名のラッパーになって界隈では名を馳せているようです。

 

 

当時は池袋北口を拠点にしていて、東京に行ったらだいたい居酒屋大都会か喫茶伯爵で夜回り活動をしていました。

 

その日も僕は喫茶伯爵で「遅いぞ、小次郎!」と終電を気にする平成の宮本武蔵として巌流島での戦いを待っていました。(武蔵と小次郎、よく考えたら逆ですね)

 

そこに遅れて現れたKojikidoは普通に礼儀正しい女の子で、正直「全然普通じゃん」と思いながら、戦いのゴングは鳴り響きました。

 

「この世の真理を教えて下さい」

 

Kojikidoは初対面の僕に開口一番そう聞いてきました。

 

僕は当時全盛期だったのでそれに対して「この世は大人たちに奪われた世界地図を自分の力で取り戻していく物語なんだ」と熱く語り、自分が過去に行ったいろんな場所でのオナニーの話をしました。

 

Kojikidoはすぐに「ちょっとメモをとっていいですか」といって、カバンからメモ帳らしきものを取り出し、頷きながら僕のいろんなシチュエーションでのオナニーの話を一心不乱に書き続けました。

 

(相手は防戦一方、これは勝ったな…)

 

しかし、僕は一通り話し終え、満足して視線を彼女の顔からメモ帳に落としたとき、自然と声が出ました。

 

「えっ」

 

その手に握られていたのはメモ帳ではなく、文庫本だったのです。

 

「えっ、ちょっと待って、どういうこと?」

 

慌てて開かれた文庫本を見せてもらうと、白紙のページではなく、本文が書いてあるページにボールペンで僕のオナニーの話が延々と書いてありました。

 

それに対してKojikidoは「何か変ですか?」と不思議そうな顔をしていました。

 

(これは…とんでもない逸材に出会ったぞ…)

 

僕はその夜、無事に終電を逃しましたが、その価値は充分にあったと満足し、今後のKojikidoとの対戦にワクワクしながら、義眼の占い師の友人が住む江古田へと消えました。

 

後日、僕たちを引き合わせてくれた友人が、Kojikidoに僕の感想を聞いたところ「正直、怖かったです」とだけ言い残して、彼女は海外に旅立ったそうです。

 

その後、彼女がミスiDに出て突然水着になったり、ハゲドルとして円形脱毛症をネットに載せたり、わけのわからない活動をしているとは友人づてに聞いていましたが、その生命力はリリックと結びつくときを待っていたのかもしれません…

 

流れ的にはMarukidoのPVを貼るのでしょうが、あえて貼らないので検索してください。

 

代わりに最近めっちゃ良いと思った曲を貼っておきます。

(セロハンテープを顔に貼ってバズってた人の曲です。)

 

youtu.be

年末死にかけてたお母さんが生き返りました。

 

一番ひどいときは一日中ずっと寝ぼけてる状態で、電話しても途中から「あうーあうーあー」しか話せなくなったりしてたのですが、数値も良くなり、夜に眠るために処方された安定剤が効きすぎてただけみたいで、昨日退院して今はそのギャップが怖いくらい元気に喋ってます。

 

とはいえ、お母さんが糖尿病性腎症で日常生活を送りながらも透析が必要な状態であることに変わりはないし、いつどんな連絡が来ることも自分は想定しておく必要があります。

 

今回、一時的とはいえ、お母さんが死ぬ直前みたいな状態になるのを疑似体験して、いろいろ考えたのですが、やっぱり家族より大事なものはこの世に存在しないと思います。

 

「母親がこんな状態なのに、東京で日の当たらない小さな部屋で仕事して、いったい何の意味があるのだろう」

 

場合によってはいろんなことを辞めることも頭をよぎりました。

 

結婚すれば、子どもが生まれれば、同じような思いを抱く"家族"が広島以外にも誕生するのでしょうが、今の僕の家族は全員広島にいます。

 

そんななか、誰とも会わずにリモート勤務で東京にいる理由もメリットも僕には感じられません。

 

広島は厳しいにせよ、少なくとも何かあったときにすぐに帰れる関西での勤務が出来ないか、上の人に相談してみようと思います。

 

期待しすぎない程度に期待して来た東京でしたが、僕には縁がないようでした。

ネガティブな意味ではなく、ニュートラルな意味で、人生について思い残すこともやりたいこともないなと思う。

 

希望も野望も願いもなく、ただ時間だけが過ぎていく。

 

病んでるわけではなく、純粋にそう思っている。

 

ゲームを買ってもチュートリアルで心がついてこなくなったのはいつ頃からだろうか。

 

そもそも人生にワクワクしていた時期なんてあったのだろうか。

 

昔から良くも悪くも大人びていたと思うけど、その感覚のまま大人になったところで、ただ人生が冗長で退屈なものに感じるだけだった。

 

だからこそ愛には期待していたけど、自分の至らなさもあって、結局こんなことになってしまった。

 

好きな人や愛したい人は現れるけど、みんなみんな目の前から消えてしまった。

 

そして僕は疲れてしまった。

 

人を好きになっても悲しい記憶にしかならないから、今は人を好きになることに興味を持てなくなってきた。

 

逃げてるだけなのかもしれないが、それを良いとか悪いとか判断することすら、もうどうでもいい。

 

ただ植物のように、日光と水と風を浴びて、生きることしかやることがない。

2020年、年の瀬、持病のある母が入院していて、2割くらいは覚悟してます。

 

人はいずれ死ぬし、抗うことのできないことは世の中にあるけども、自分は母を心の底から愛しているので、いずれそのときが来たとき、それに向き合って耐えられるか、少し怖い気持ちはあります。

 

人間が人生の設計図を予め作ってから生まれてくるのであれば、今回の自分の目的は、「母に愛されること」だったのかもしれません。それくらい全力で愛されているし、僕も愛していると胸を張っていえます。

 

もしかしたら、母の愛を全力で受け止め続けた結果、外の世界に求める愛の純度も高くなってしまい、こういう32年になったのかもしれません。でもそこに悔いはありません。

 

自分も含めてあまりにも業の深い人間ですが、次の人生でも母の魂と一緒ならば、また生まれてもいいかなと少し思っています。

 

自分の寿命を母親に渡せるのであれば、あと8年くらいは渡したいし、誰に笑われても、気持ち悪がられても、そんなのどうでもいいくらい、僕と母は強い絆で結ばれている自信と安心があります。

 

母は常々僕に「もっともっと幸せになってね」といいますが、最近その答えが見つかりました。

 

僕は母のもとに生まれた時点で、世界で一番幸せな子どもなのだと思います。

雪の降る町

雪の降る町で除雪し続けるのにも少しずつ慣れてきました。

 

現実でも2ch伝説のオフ会の話でもないです。仕事の話です。

 

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リモート勤務で寝ても覚めても仕事しかしてないので、当然夢も仕事の夢ばかり見ます。

 

最近驚いたのが、IPPONグランプがTVで流れてる状態でうたた寝したとき、寝ぼけた状態で「あ・・・回答がどんどん溜まっていってる・・・早く処理しなきゃ・・・」って無意識に思ってて、気付いたときめっちゃ怖かったです。

 

ここまで意識してるのでさすがに仕事もできるようになってきて、やりがいも少しだけ見え始めたので、多分大丈夫です。多分。

 

愛について、自分は動物で例えるなら象だと思ってるのですが、しばらくは子象の死を受け入れられず、ずっと亡骸の近くにいましたが、最近ようやく死を認識して離れられるようになってきました。愛の話です。

 

人並みに愛されたり恋をしたい感情はありますが、まだ喪中なので、年末までは大人しく仕事の夢を見続けたいと思います。

 

いつかこの降り積もる雪の中で、大切な人の手の暖かさを感じられたらと思います。

 

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