女の子と自然に手を繋ぐタイミングがわからない
本当にわからない
世の男子はどこでそのタイミングを習ったのか
僕が中学校を休んだ日の保健体育で説明があったのか
保健体育の教科書なら隈なく読んでいたはずなのに
いつの間にか周辺の男子は女の子の手を自然に握ってダンスパーティーから抜け出し、僕は未だに薄暗いダンスフロアで泣きそうになりながら一人ボックスを踏んでいる
以前大阪の万博記念公園でフォロワーの女子大生と会ったとき、力を込めないと登りにくい段差を先に登って、(あ、こういうときか!)と思って手を差し出したら、「うわ、Tinderの男みたいなことやってくるやん」といわれた
それ以外の会話はほとんど覚えてないけど、その言葉だけは何となくずっと覚えている
これが然るべき教育の問題なのか、そういう呪いをかけられてるのかはわからないけど、最近はもう手を握る必要はないんじゃないかと思っている
随分遠くにやってきた
一時は関西に戻ることも考えていたが、今は東京で頑張ろうと思っている
関西には大好きな人も友達もいるが、今戻ってもそれは情けないし、戻るなら凱旋でありたい
相変わらず吐きそうな環境で吐きそうな毎日だけど、人生で一度はそういう時期を乗り越える経験も必要だと思って、まさに今戦っている
仕事を変えて、東京という街の中でいろんな人と触れ合って、いろんなものを磨ければと思っていたけれど、実際に待っていたのはステイホームの鏡の前でボックスを踏む自分と向き合う日々だった
これはこれで得られるものもあると思うので、 来年にはきっとオーディエンスを沸かせる見事なボックスを踏めるようになっていればと思う
今はまだ頭の中にもやもやした雲みたいなものがあって、どんなに晴れた日でもその雲が僕の思考に漂っている
今朝、夢で情けないくらい泣いていた。理由は「自分が死ぬ日の空のこと」を思って泣いていた。うまく言語化できないけど、とにかく泣いていた
そして目が覚めたとき、さっきまで鋭かった悲しみがどんどん鈍っていくのを感じた
まるで頭の中の雲が、その空を厚く覆っていくようだった
人生は思い通りのことばかりが起きるとは限らない
むしろどうも思いとは逆のことばかり起きるようだ
だから今はもう誰も愛さないし、しばらくは一人でいたいと思っている